「ダイアローグ・ギルティ」 そのL


「名前はね、ダイアローグ・ギルティ。昨日、英語の辞書を買って調べたの。訳すと、言葉を交わす罪って意味になるの。格好良いでしょ?」
「‥‥ダイアローグ・ギルティ」
「そっ。お兄ちゃん、気に入ってくれた?」
「‥‥ああっ。勿論だとも」
 ビルの地下に何故あんな施設があったのかは分からない。ある日、私が守の部屋に来ると、見せたいものがあると言ってそこに案内された。どうしたんだ? と聞くと、作った、と守は笑顔で答えた。
 そして、その「ゲーム」の内容を聞いた時、私はそれに大いに賛成した。言葉を交わし、そして芽生える全ての感情が引き金を引く。憎しみも愛も、嫉妬も友情も、全てがこのゲームで消え失せる。
 素晴らしいゲームだと思った。
 あの時の私は、何かが麻痺していた。姉に対する想いの全てが打ち砕かれて、自分自身を失っていた。だから、守の考えた異常なゲームさえも、何の戸惑いもなく受け入れた。
 素直に言えば、私はゲームを見てとても晴れ晴れとした気分になれた。裏切るという事も愛する事も罪なのだ、という思いが目の前で証明されているのを見て、自分の考えは間違いなのではなかったと、そう感じた。
 守もそんな私を見る事に、喜びを感じていた。最初は五百万だった勝者への賞金も、段々と増えていった。そして、観戦したい者達から金を募り、最終的に賞金額は一千万にまでなった。それでも、私と守の元にはゲームをやる度に数百万の金が残るまでとなった。自分の傷が癒され、その上数百万の金が手に入る事に、私と守は狂喜した。
 だから、ゆっくりとそのゲームの主旨が変わっていく事に気づかなかった。


 ゲームは知らぬ間にゆっくりと変貌していった。
 賞金は餌であり賛美のつもりだった。死ぬ覚悟を持って戦いに望み、その勇気を讃えての賞金だった。だがいつしか、金よりもただ人を殺したい殺人狂者や、快楽主義者達も次第に参加者の中に交じり始めた。裏社会の中で、そのゲームはいつの間にか広く知れ渡っていた。
 私と守はその事に気づかず、毎晩ゲームを行なった。もっと入念に参加者の事を調べておくべきだった。人が死ぬ事で警察がこの事を知るのではないのかという危惧はあり、それに対しては万全な対策をとっていた。しかし、参加者の性格などについては殆ど目を通していなかった。だから、麻薬常習者などの人も殆ど気にせず参加させてしまっていた。そして、気づいた時には既に遅かった。
 あの時点で気づくべきだった。見ている観客達の狂気、対戦者達の苦渋の選択、それらを客観的に見つめて、こんな事は間違っていると気づいていれば、あんな事にはならなかった。でも、あの時の私は間違いなどとは全く思っていなかった。全てが大きな波に呑み込まれて、正常な判断が出来なかった。
 ゲームは勝手に独り歩きを始め、やがて手がつけられなくなっていった。


 そして、ゲームを初めてから、五年の歳月が過ぎ去ろうとしていた時、私の中の狂気を掻き消す事件が起こった。守は中学を卒業する程の歳になり、私はもう二十三になった時た事だった。もう、昔の事などほとんど忘れている頃だった。
 姉がゲームに参加した。
 参加者名簿を見た時、私は自分の目を疑った。そこには随分と容貌が変わったものの、確かに姉の写真が張りついていた。痩せ果て、心底疲れているような顔だった。
 参加者が二人きりにされるあの部屋で私は五年ぶりに姉の姿を見た。姉の方も私を見た瞬間、私に気づき、驚きと共に再会の喜びに溢れた笑みを見せてくれた。
 姉は私に二人の子供を託した。姉から写真を受け取り、そこに写っていた二人の子供。二人共、顔はそっくりで髪の毛の長さでないと判別できなかった。二人は七、八歳かそこらに見えた。
 この子達は、真一と姉との間に出来た子供だった。
 二人に彼の面影があったかは分からなかったが、歳から考えて、おそらく私が姉と決別したあの日、あの時既にどこかの病院で二人は産声をあげていたのだろう。
 それから姉は私のいなかった五年間の事を語ってくれた。すぐ隣にいた対戦者は麻薬常習者で、まともに私の顔など見ていなかった。
「最初は幸せだった」
 姉はこう切り出した。
 最初は真一と楽しく過ごしていた。私に対する罪悪感もあったが、それよりも慎一との甘い生活に溺れていた。しかし今から数週間前、突然真一は姉に別れを告げた。理由は借金を背負っていて、それを返済しなくてはいけないというものだった。姉は必死に説得して、四人で一緒に頑張ろうと言ったが、真一は姉の制止を振り切り家から出ていったのだと言う。
 残されたのは、姉と二人の子供だけだった。姉は色々と考えた。真一とよりを戻す方法を。三日三晩考えた末に、姉はこのゲームの事を知り、出る事を決意した。借金を無くせばまた戻ってくると姉は考えていた。
 まだあいつの事を考えているのか、と思い私は悔しくなった。だが死んでほしいとも思っていなかった。
「姉さん。姉さんは絶対に助けるから。いいかい? 僕にはお金がある。あいつのなんてすぐ全額払える。だから、姉さんは銃口を全部相手に向けるんだ」
 私がそう訴えると、姉は疲れた笑顔を見せる。
「もう和也には迷惑かけられないわ。楓と紅葉を託して、その上お金まで借りるなんて出来ない」
「貸すんじゃない。全額あげるよ。それに迷惑なんかじゃない。僕は姉さんが死ぬ方がよっぽど迷惑だよ。また前みたいに暮らそう。楓ちゃんと紅葉ちゃんも一緒でいいよ。僕の望みは姉さんとまた楽しく暮らす事なんだ」
 今まで押さえ込んできた思いを一気にぶちまけた。守と共に暮らしていた日々、二人だけでゲームを発案した日々。それら全ては姉を忘れたいからした事だった。でも姉が戻ってくるのならば、それら全てを捨ててもいい。言いたい事が次から次へと溢れ、全てが言葉にはならない程だった。
 正直、真一が再び戻ってくるとは思えなかった。一度は姉を捨てたのだ。金があるからと言って、おめおめと戻ってくるとは思えない。だから今ならまた昔に戻れる。そう確信していた。
 しかし、姉はそんな私を優しく抱いた。もう、石鹸の香りもシャンプーの香りもしなかった。
「ごめんね、和也」
 それが、姉の最期の言葉だった。


「今日、死んだ女の人。お兄ちゃんのお姉さんなんだって?」
 全てが終わり、守は私に言った。姉の死体が運ばれていく様子を見ていた私は言葉を発する事も出来ず、ただ黙って首肯く事しか出来なかった。
 姉が死んだ。その事実は今までの行い全てを悔やむのに十分だった。初めて思った。こんな事しなければ良かった、と。
 守が私の元に歩み寄る。
「よかったじゃない、憎かったお姉さんが死んで。お兄ちゃん、昔言ったよね。裏切った奴は人間として駄目だって。それこそ、殺すくらいの気持ちを持てって。その通りになったね」
「‥‥」
 私は唖然としたまま守の方を見た。守は純粋な笑顔だった。そこには申し訳ないとか、そういった感情は一切感じられなかった。
「もっともっと、幸せになろうね」
 そう言って、守は私の肩を叩いた。
 その時、私は気づいた。守はもう戻れない、と。彼はもう狂気に呑み込まれている。二度と、戻ってこない。


 〈高瀬和也と神谷瑞樹と上月真一〉
 ゲームは続けられた。私はもうやめようと言った。しかし、守は私の言う事を聞いてくれなかった。彼はもう私の操り人形などではなかった。
 私は彼の傍にいる事が恐くなり、参加者達に食事を配る仕事を請け負い、なるべく彼の近くにいないようにした。しかしそれでも、ゲームは続けられた。歯痒かったが、私一人ではどうにもならない程、そのゲームは巨大化していた。
 そして何も出来ないまま数週間の歳月が流れたある日、私は参加者の名前を見て驚愕した。そこにあったのは、姉を残してどこかに消えてしまったあの上月慎一だった。その時私はある疑問を心に抱えた。
 何故、この男がゲームに参加するのか? 


 食事を持ってきた時、真一はベッドに腰掛けていた。その隣で対戦相手の女が泣きじゃくりながら真一の手を握っていた。神谷瑞樹だった。彼女はこれまでに三回ゲームに参加していたので、知らない顔ではなかった。殺人快楽者ではなく、自分のこめかみに引き金を引きながら、三回も連続で勝てる者などそうそういなかったので、顔と名前は覚えていた。
「ねえ、二人で逃げましょう!」
「‥‥」
「何で来たのよぉ。私はあなたの為を思ってこのゲームに参加していたのよ」
 二人は私の存在に気づいてはいたが、全く無視していた。私は好都合だと思い、ゆっくりと歩きながら、誰も座っていないベッドにトレイを置いた。その間も、耳をそばだてて二人の会話を聞いていた。
 真一は真剣な眼差しで瑞樹を見つめていた。
「僕は君にこれ以上ゲームをしてほしくない」
「分かったわ、もうこれ以上ゲームはしない。約束するわ」
「何回そう言った? 三回もそう言ったのに、君は約束を破ってきたじゃないか。きっと君は何回僕が言ったところで、ゲームをやめないだろう。だから、ゲームをやる理由を無くす」
「お願いよぉ。あなたがいなくなったら、私は生きていけないわ。お願いだからそんな事言わないで!」
「‥‥」
 真一は懇願する瑞樹を無視して立ち上がり、私の持ってきたトレイに置いてあったグラスを手に取った。中には高級シャンパンが入っている。真一はそれを一気に飲み干した。
「‥‥美味しいよ」
 とてもいい笑顔だった。真一は私が高瀬希の弟だという事に全く気づいていない様子だった。私は何も言わず小さく一礼すると、すぐに部屋から出ていった。
 私は全てを理解した。
 真一は姉と付き合うかたわら、神谷瑞樹とも付き合っていた。借金の事実は本当だったらしく、真一は瑞樹ともそして姉とも別れようとした。しかし二人共それを頑なに拒み、そして、二人とも同じゲームに出て彼の借金を無くそうとした。
「‥‥」
 それを知った時、憎悪で気が狂いそうになった。
 何故、この女の時だけお前は命を張ってまで止めようとするんだ? 何故、姉を選ばなかった? 何故、この女の誠意にだけ命を捨てられるんだ? 何故、姉の誠意を知らずにここにいるんだ? 何故、姉の為に命を捨てられなかったんだ?
 この女と姉と、どこが違うと言うのだ!


 私は真一の死を願った。姉の死で狂気の世界から脱出できたと思っていた。だが私は真一の死を心の底から望んだ。
 そして、真一は死んだ。自分のこめかみに銃口を向け、自らの命を断った。その時私は狂喜した。姉の仇を取った。そんな気分になれた。
 真一の死体を、ただただ泣きながら見つめる瑞樹。その時の彼女の様子は今でも忘れない。まるで世界が終わるかのような慟哭と嗚咽。それが今でも耳に残っている。
 それを見た時、何故あの女は真一という男を選んだのか気になった。自分の子供まで見捨てるような男に、何故あの女は惚れ込んだのだろう? あの男のどこかそんなにいいのだろう? 自分の命までかけられる程の男とは何なのだろう?
「‥‥」
 そんな疑問がやがて、私をある行為に導いた。
 待合室で一人泣き続ける瑞樹。私は何も言わず部屋に入り、彼女を犯した。彼女は抵抗しなかった。涙を舐められても、下着の中に手を入れられても、何の抵抗もしなかった。ただ、黙って私の行為に身を任せてくれた。
 その時の私は、ある思いに駆られていた。復讐だった。真一が命を捨ててまで助けようとしたこの女を犯して、あいつに復讐したかった。
 自分のモノを彼女の中に突き刺し、激しく揺さ振る。乳房を乱暴に掴み、半開きにされた口に指を突っ込む。接合部分から淫らな音が響く。
 私は強烈な征服感に酔い痴れた。
 お前が姉を捨ててまで選んだこの女を、俺は今犯しているんだ。悔しいだろう? 悲しいだろう? それでいい。そうして懺悔しろ。姉に懺悔しろ。お前の為に、姉は死んだんだ。未来永劫、懺悔し続けろ。そうしなければ、姉は一生報われない。
 そう思いながら、私は瑞樹を犯し続けた。


 〈高瀬和也と高瀬楓・紅葉〉
 姉も真一もいなくなり、私は住み人を失ったあのアパートで残された楓と紅葉を養う事にした。姉と真一は結婚していなかった。だから、二人の名字は高瀬のままだった。
 金なら十分にあったので、生活に困るような事は無かったが、この子達はあの男の子供だという思いがあり、なかなか二人に心を開けなかった。
 楓はそれをいち早く察知したらしく、同じ屋根の下に暮らしながらも距離をとった。しかし、紅葉はそういう部分に疎いらしく、私になついてくれた。一緒に食事をしたり、帰ってきた時に風呂を湧かしてくれたり、色んな事をしてくれた。
 その健気な姿に私の心は少しずつ揺らぎ始めた。そして、真一の子供であるという事実以上に姉の子供である、という事実に目を向け、二人と接するようになった。
 三人で洋服を買いに行ったり、外で食事をしたり。今までほとんど幸せを感じる事の無かった事が、彼女達がいる事によって楽しいものに変わっていった。
 一緒に住み始めてから半年程経った時には、楓も私になつくようになり、実の親子のような関係になっていた。
 よく三人で一つの布団に入って眠った。右腕に楓を抱え、左腕に紅葉を抱え、同じ天井を見ながら眠りにつく。そんな日々が、昔の自分と姉の姿と重なり、私は複雑な気分になりながらも、この瞬間を幸福だと思うようになった。


 〈高瀬和也と神谷瑞樹〉
 真一が死んだ今、もう彼女はここに来る必要が無い。だから、あの日が最初で最後の抱擁になると思った。それでよかった。それで、何もかも終わると思っていた。
 しかし、彼女は半年して再びゲームに参加した。
 何故なのか分からなかった。真一の為、という理由以外にもゲームに参加する理由があるのだろうか? 私は名簿の載っている彼女の顔を見つめながら思考を巡らせたが、答えは出てこなかった。
 食事を持っていた時、彼女は以前とは別人のような顔をしていた。何かを悟ったような顔をしていた。私に対しても、何の憎しみも無いような顔で接してくれた。私の疑問は募るばかりだった。
 しかし、ゲームの最中に彼女の言った言葉で全てが分かった。
「最期くらい選択したいのよ。誰と巡り合って死ぬかをね」
 それは懺悔だった。真一を殺してしまったのは自分のせいだと思い込み、それを償う為にゲームを参加したのだ、彼女は。
 私は言いたかった。真一は君がそんな事をする程の男じゃない。死んで当然の男だ。なのに、何故君がそれを償おうとする? 君がそんな事をする必要など無い。君は真一の事など早く忘れて、勝手に生きていけばいいんだ。
 そう思っていたのに、彼女はゲームに参加した。愛した人を追おうと拳銃を手にした。


 それは最初、憐れみだった。
 彼に生きるチャンスを与えられたのに、またゲームに参加し、そうして彼への懺悔を達成しようとしている。そんな彼女を見る目は憐れ以外何物でもなかった。
 その気持ちが次第に変わっていった。憐れみは心配に変わり、いつしか愛になった。
 私は全てを知っていて、彼女は何も知らない。何も知らず、死んだ男の為に一生懸命懺悔をしようとしている。そんな彼女の姿に心惹かれたのかもしれない。もしくは、何の抵抗も無く私を受け入れてくれた彼女に、どこかほおっておけない気持ちがあったからかもしれない。
 何にしろ、すぐにでもやめてほしかった。あんな男の為に死に行くなど無駄だと言いたかったし、彼女には死んでほしくなどなかった。
 それは私が姉に対して思っていた事と同じだった。
 だが瑞樹はやめなかった。


 私にはあの状態を打開する方法が見つからなかった。もし真実を言ってしまったら、彼女はゲームに出る事も無く自殺してしまうような気がした。だから素直になれず、いつもはぐらかすような事ばかり言っていた。好きだと言っても、それでも彼女はゲームに出た。その時、もう彼女は二度とこっちの世界には戻ってこれないのだろう、と諦めた。
 諦めと楓と紅葉のゲーム参加を知ったのはほぼ同時だった。そして、戦う相手は彼女だった。
 私は守にその事を訊ねた。聞かれ、守はこう答えた。
「あの二人。お兄ちゃんと暮らしてるんでしょ? お兄ちゃん、変わったよ。だからあの子達にも出てもらう」
「答えになってない! 俺が変わってからって、どうして彼女達が出るんだ?」
「お兄ちゃん、言ったじゃない。裏切られたら、殺す気持ちを持てって。お兄ちゃんは僕を裏切るの?」
「‥‥」
 守は期待していた。昔の私に戻ってほしい、と。でも、もう私は守の所には戻れなかった。姉を失い、姉の子供を養い、そして姉の恋人を奪った女を抱いた私には、もう守の所に戻る事は出来なかった。
「ねえ、裏切るつもりなの?」
 もう一度、守は私に訊ねた。その顔には、まだ昔の面影があった。


 〈高瀬和也と高瀬楓と高瀬紅葉〉
「ごめんな。俺がもっとしっかりしてればこんな事にはならなかったのに」
「‥‥もういいよ」
「‥‥」
 ゲームが行なわれるその日の昼頃、私は楓と紅葉にそう謝った。二人はどこか穏やかな顔でそう答えた。
 私は複雑な気持ちだった。楓と紅葉には生き残ってほしかった。しかし、瑞樹にも生き残ってほしかった。誰一人、いなくなってほしくなかった。だが、あのゲームはそんなに生易しいものではない。
 この二人にどんな言葉をかけていいのか、全く見当がつかなかった。二人も私にどんな言葉をかけていいのか迷っている様子だった。
「ねぇ、高瀬お兄ちゃん」
 紅葉が小さな声で私に言った。そして私の横に座り、手を握ってくれた。背中を覆い隠す程の長い髪の毛が静かに風に揺れる。その髪の毛の間にある小さな顔は、僅かだが姉に似て可愛らしく、それを見つめる度に生き残ってほしいという思いが膨れた。
「何だい?」
「私ね、新宮寺って人から聞いたの」
「‥‥会ったのか?」
「うん、前にここに来た事があったの」
「それで何と言ったんだ?
「あの人は裏切り者だって」
「‥‥」
 裏切り者、か。守から見ればそうなのかもしれない。でも、私は決してそんなつもりは無かった。そう。姉が私を裏切ったわけではないのと同じように。
「よく分からないけれど、私は高瀬お兄ちゃんの事、好きだよ」
 屈託無く話す少女。守にはすまないと思ってる。でも、今の私にとって心の支えはこの子達なのだ。
「あと、こんな事も言ってた。戦う相手の人は高瀬お兄ちゃんの好きな人なんだって」
「‥‥ああっ、好きだ」
 この子達と、瑞樹を救いたい。何としてでも彼女達を救いたい。
「私はその人の為なら別に死んだっていいって思ってるの」
「‥‥えっ?」
 私は顔を上げた。紅葉は驚く様子も無く、淡々と続ける。
「小さい頃だからよく覚えてないんだけど、お母さんがね、高瀬お兄ちゃんの事言ってたの。人を好きになるのが苦手な人なんだって。私はね、高瀬お兄ちゃんの事好きだから、だからその人を殺しちゃいけないって思うの」
 どこか遠くを見つめるような視線で、紅葉は言った。その間も、繋がれた手は決して解かれなかった。
 両親を失っても、それでも紅葉は人の事を思っている。自分はそんな事はしなかった。自分の事ばかり考えて、挙げ句の果てにあんな狂ったゲームまで作ってしまった。
「‥‥」
 いけない。このままではいけない。このままではたくさんの大事な人を失ってしまう。何とかしなければいけない。例え傷を負ってでもいいから、あのゲームを壊さなくてはいけない。
「私ね、高瀬お兄ちゃんが幸せになるなら‥‥」
「それ以上言わないでくれ」
 半分泣きべそをかいている紅葉を抱き締め、言葉を遮った。瑞樹は慎一の為に、そして紅葉は自分の為に、命を捨てようとしている。
 姉の為なら全てを捨てられると思っていたのに、現実は何一つ出来なかった自分。狂っていく守を止める事が出来なかった自分。巨大な波に呑み込まれていくだけだった自分。
 何かしなければ。何かしなければ絶対に後悔する。そう。ゲームが巨大化していく事に気づかなかった時に後悔したように。もう、二度と後悔してはいけない。
「瑞樹の事は好きだ。でも、楓も紅葉も大好きだ。だから、誰も死なせない。大丈夫だ。
何も心配しないで待ってなさい。きっと、きっとみんな助かる。みんなで元気に出て、一緒にご飯を食べよう」
 私は手から感じる紅葉の鼓動を抱き締め、そう言った。決意の果てに、そう答えた。


 〈高瀬和也 (現在)〉
「‥‥」
 私は今、全てを終わらせようとしている。手にはマシンガンがある。これで全てを終わらせる。決着をつける。
 守と、そして過去の自分と。
 瑞樹と楓と紅葉が、あの部屋の中でどんな事を話したのかは分からない。だが、部屋から出た時、三人の顔は実に晴れ晴れとしていた。きっと、瑞樹もあの二人の力に感化されて、生きようと決めたのだろう。自分ではなく、彼女達が決定打を与えた事は少し悔しい。だけど、あなたも生きる決めたのなら、もう俺の決心も揺らがない。
 あなたの決意を無駄にはしない。絶対に。
「‥‥」
 守には悪い事をしたと思っている。元はと言えば、自分があんな事を教えなければ守は狂気に狂う事も無かった。全部、自分のせいだ。でも、自分はこれ以外に守を止められる方法が思い浮かばなかった。
「‥‥」
 お前はもう、元には戻らないのか? 出来ればお前も昔のようになり、五人で楽しく暮らしたい。でも、お前はもう戻らないだろう。いつからか、お前の瞳は私の知らないものになっていた。その瞳はお前が望んだものなのか? それとも、私がお前に与えたものなのか? 私には分からない。でも、お前はもう答えてくれない。私はお前を撃つ資格など無いだろう。でも、誰かがやらなければいつまでもあのゲームは終わらない。だから、私はお前を撃つ。俺が全ての責任を持って、終わらせる。
 私の視界の中に、二階席の扉が見える。もうゲームは始っているだろう。私はマシンガンを強く握り締め、歯を食いしばった。
 これが私がお前に出来る、最初で最後の償いだ。
 許してくれ。
 これしか知らない俺を、許してくれ。
 こんな俺を、許してくれ。
 私は室内に飛び込んだ。


第六章 完
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